(あなやくしこふん)
川妻地区の薬師下にあるもので、奈良時代の貴族が造営したものといわれています。古墳の規模は、直径約30m、高さ約4mの小高い円墳で、中央に横穴式の石室が設けられています。
石室は、幅約2m、長さ約7mの規模で、奥部は高さ2mのひょうたん型をしています。その構造は、下段に30cm程度の自然石が並べられ基礎となっており、その上に整形した軽石を積み上げて側壁としています。また奥壁には板状の石を使って五輪の塔を思わせる模様が描かれています。
こうした構造の古墳は、古墳時代後期の造営と考えられていますが、関東地方には例がなく、学術上でも貴重な遺跡です。
古墳を造営した人々は、薬師像を安置して信仰しており、それを知った村人は穴薬師と呼ぶようになり、名前の由来となっています。
この古墳の北側には、川妻寺があり本堂には薬師如来像が安置されています。この川妻寺の薬師如来像と石室の薬師像との関連を位置づける資料は見当たりませんが、古墳に住んでいた人が熱心な薬師の信仰者であったことから川妻寺内に薬師像を置き替えて、村人が信仰を受け継いだ説。古墳に住む人がいなくなったころ、村人が新たな薬師如来像を建立したという説が考えられたいます。
また、穴薬師古墳には「隠れ膳椀」の伝説があり、村人が何人か分の膳椀を貸してくれるようにたのむと、翌朝に古墳の前に揃えて置いてあったと伝えられています。
その後、穴薬師古墳は長い間荒れるままに放置されていましたが、昭和47年5月に文化財保護の観点から復元整備が行われ、茨城県の指定文化財となりました。
(所有者 藤沼喜義氏)
アクセス
・圏央道「五霞IC」から車で約13分
・JR東北本線・東武日光線「栗橋駅(東口)」からタクシーで約11分